中国の中でも特に古い歴史を持つ西安市。歴史好きにはたまらないエリアですよね。
西安は昔「長安」という名前で13の王朝が都を置いていた」
という話は聞いたことがあるかもしれません。
それはそのとおりです。実際に今の西安市に当たる場所には長安という都がありました。
でも歴史を詳しく調べると、厳密に言えば西安に都を置いていたのは13の王朝ではありませんし、長安と西安の位置はまったく一致しているわけではないことが分かったんです。
そこでこの記事ではちょっとマニアックな内容にはなりますが、
・西安と長安はどうちがうのか?
・長安から西安という名前に変わったのはいつ、そしてなぜ
こんな内容をご紹介します。
お好きな方はどうぞ。
西安と長安の違い
西安と長安の違いについて説明しましょう。
結論から言っておくと、長安は今の西安の一部だったというのが正しい言い方だということです。じつは長安という名前の都も一つの場所にずっとあったわけではなく、今の西安市の中で移動しているんです。
詳しく説明していきます。
今と昔では土地の名前の付け方が違う
まず押さえておかないといけないのは、今と昔では土地の名前の付け方が違う、ということ。
昔はまず城壁で囲まれたお城や町があって、そこが長安だったり、咸陽だったりという名前がついていたのです。
でも今は、地図上に線を引いて分けていますよね。まずそこが違ってきます。
なので今の行政区画でいうところの「西安市」は実はとっても広いです。
私たちが普通西安市と思っているのはだいたい、真ん中の1,2,3と青色の「雁塔区」、黄土色の「未央区」くらいでしょう。
でも実は外側に区があったり「県」があったりして、とても広い範囲が今の西安市なんです。
長安の都は一つじゃない!?
中国で「長安」という名の都市が初めて建てられたのは前漢の時代、西暦前200年ごろのこと。この時の長安は今でいう西安の「未央区」の西寄りの土地に建てられました。
その後 新、後漢、西晋、前趙、前秦、後秦、西魏、北周の王朝がこの長安を都として栄えました。
その後、隋の時代に入るとその長安は放棄されて東南よりの地点に新たに作られます。
それは今の西安で言う「新城区」「碑林区」「莲湖区」にまたがる大きな都でした。この時の都の名前は「大興」と変わりました。
この大興の都は唐の時代にも引き続き使われますが名前がまた「長安」に戻ります。
この髄・唐の時代の都「大興・長安」が遣隋使や遣唐使が遣わされたという日本で有名な「長安」なんです。
阿倍仲麻呂もこの長安に来て当時最高の学府で学びました。
地図で見るとよくわかりますが、前漢時代の「長安」と唐時代の「長安」は微妙に違う位置にありますね。
ものすごい近い距離なのでどうしてお引越ししたのか疑問ですが。
その後、長安は都としては用いられなくなり、どんどん縮小していきます。
そして明王朝の時代に唐の長安の北の一部に当たる場所に城壁が築かれました。
これが今残っている西安の城壁です。みんなが自転車に乗ったりしている城壁です。
一口に「長安」といってもこんな歴史があったんですね。
だから
「昔の長安は今の西安か?」
と言われたら、まあそうなんですけど、厳密に言うと、西安の一部にあったというのが正しいかと思います。
今でも長安はあります
「長安」という名前は完全になくなったわけではありません。
今では西安中心部の南の地域を「長安区」と呼んでいます。
でも長安区は市街地から少し離れていて田舎の雰囲気が漂っています。
なので、今の西安市民は「長安の人」と聞くと由緒正しい大都市のイメージではなく田舎者というイメージが強いです。
西安市を「長安市」という名前に変えようかという話もあったのですが、多くの人の反対にあってオジャンになったようです。
西安に名前が変わったのはなぜ?いつ?
唐代の後期以後、中国の都は朱全忠によって長安の東の方にある洛陽に移され、長安がまた都になることはありませんでした。
そんな経緯があって、長安は全土の中心という地位から、西部(西北部)の拠点という存在に地位が低下して、一つの地方都市として発展していきました。
その後、明王朝洪武帝の第2年、西暦1369年にこの地域の名前が西の都という意味の「西安府」に。
そして1949年10月1日に西安市という今の名前になったんです。
13王朝の都じゃないの?
西安に都を置いたとされる13の王朝を表にまとめましたのでご覧ください。
王朝名 | 時代 | 当時の名前 | 今の地名 |
西周 | BC1121-BC771 | 豊京、鎬京 | 西安市長安区張家坡、斗門鎮一帯 |
秦 | BC221-BC207 | 咸陽 | 咸陽市窯店鎮一帯 |
前漢 | BC206-AD8 | 長安 | 西安市の北西部 |
新 | 9-23 | 長安 | 西安市の北西部 |
後漢 | 190-195 | 長安 | 西安市の北西部 |
西晋 | 313-316 | 長安 | 西安市の北西部 |
前趙 | 319-329 | 長安 | 西安市の北西部 |
前秦 | 351-384 | 長安 | 西安市の北西部 |
後秦 | 386-417 | 長安 | 西安市の北西部 |
西魏 | 535-556 | 長安 | 西安市の北西部 |
北周 | 557-581 | 長安 | 西安市の北西部 |
隋 | 581-618 | 大興 | 西安市の中心部 |
唐 | 618-907 | 長安 | 西安市の中心部 |
こうやってみるとどうでしょうか?
純粋に今で言う「西安市」に都を置いたのは12王朝であることが分かりますね。咸陽市はれっきとした独立した市なので、西安とは言えません。
すこしさばを読んじゃった感じでしょうか。
まとめ
いかがでしたか?
昔の「長安」は今の西安と同じか?という質問にちょっとひねくれた思考で答えてみました。
・今と昔では、地名の付け方が違う
・昔の長安という都も1つではなかった
ということから、長安は西安市の一部にあった、という結論になりました。
そして13王朝が都をおいた、という説にもケチをつけてみました。
ほんとに個人的な好みで書いた自己満足な内容でしたが、ご清読ありがとうございました。